有馬温泉の穴場スポット 名所旧跡 観光情報日本最古の有馬温泉には、観光スポットとして人気のある瑞宝寺公園や鼓ヶ滝公園の他にも、亀の尾の滝、仏座巖、あなむちの神地、地獄谷などの不思議な穴場スポットや名所旧跡があります。 1300年以上の歴史のある湯の街、有馬温泉の観光に是非ご利用下さい。 |
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"有馬の工房"前の願い坂にあります。僧行基と三羽烏の像のあるところが願いの庭です。
神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が人々を病気から守るため、国々を旅し、薬草探しに歩かれた時、傷ついた三羽のカラスが水溜りで赤い水を浴びていました。 数日後、傷が治癒しているのをご覧になり、調べられたところ、この水たまりが実は効能高い温泉だと分かりました。こうして、有馬温泉が世に知られるようになったと伝えられています。 願い坂の周りには、温泉寺や極楽寺、念仏寺など寺社仏閣が立ち並んでいます。 |
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落葉山の北の麓、湯けむり坂を少し登ると、左手に不動明王の祠がありますが、その側に亀の尾の滝と呼ばれる細い滝があります。
滝の左手の苔蒸した岩には"暁櫻"という隷書が刻んであり、江戸時代の京都の書家である亀田窮楽の"洛西逸翁七十六曳尾窮楽"という落款があります。 これは、秀吉・家康に仕えた藤堂高虎が入浴した際に刻ませたものです。真夏でも少し冷んやりとするスポットです。 |
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ある時、松永城主が葦毛の馬に乗り、重藤の弓と白羽の矢を持って、鷹狩をしていると、
湯泉神社の祭神である熊野久須美命(くまのくすみのみこと)が狩場を通られました。
松永城主は怪しく思って祭神様を射ようとしました。すると、祭神様は袂から小石を取り出して、松永城主に向かって投げつけました。 この小石が年月を経て次第に大きくなり、袂から投げられたので、 袂石(たもといし)とか、礫石(つぶていし)と呼ばれるようになったと伝えられていますが、 現在、太閤橋の傍らにある袂石は、高さ5m、周囲19m、重さ130トンもあります。その後、葦毛の馬で、重藤の弓、白羽の矢を持って有馬に入ることが禁じられました。 もし、この掟を破って有馬に入れば、晴天が急に曇って、風雨が激しくなるとされています。 |
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穴虫の清水(己貴清水)と呼ばれる清烈な清水が湧き出ており、湯泉神社の御旅所とされています。
神代に、大己貴命と少彦名命がこの地に降臨されたところから、「神地己貴(しんち・あなむち)」と伝えられています。 傍らに鎮座石として幅2m、高さ1mほどの石が二つあり、その一つには「青蛾石」という三字が刻まれていますが、江戸末期の修験者の書であるとされています。 一般には水神さん、または、お旅所として親しまれており、 秋祭りのお神輿は、あなむちの神地を経て湯泉神社に向かいます。 |
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明治の初め、学制改革当初に創立された有馬小学校は、2003年11月6日に創立130周年を迎えました。
北村忠敬校長をはじめ、先生方、児童の皆さんは、有馬温泉の地域活動に大活躍されています。 蛍の飼育・放流活動によって有馬川で再び蛍の群が飛び交うようになりました。 また、 有馬萬助太鼓の演奏や、秋祭り、入初式などにも参加されています。 運動会も地元消防団、自治会、消防署などの皆さんと一緒に行なわれています。 校庭には、校長先生が造られた湧き水を利用した蛍の川が流れており、稲の栽培風景や水車小屋なども見ることができます。 先月、12月15日には、50年後に開かれる予定のタイム・カプセルを地元住民も参加して、この水車小屋に埋めました。 校長先生の手作り水車小屋は、一見の価値ありです。 |
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有馬温泉駅前に新しくオープンした、和雑貨と金泉染のお店がきらくやです。
昭和初期のレトロな建物を利用した店内には喫茶コーナーもあり、温泉街の散策の拠点として、大変便利です。きらくやは、 竹取亭円山や龍泉閣の金泉のお湯を使った "金泉染"、および和雑貨、古布、骨董などを取り扱っています。 本物の温泉を使った染物は、ここでしか手に入らない貴重な一品で、有馬温泉の新しい名産品です。 このお店の"金泉染"は、全て、きらくやの岡部秀子さんがひとつひとつ丁寧に手作りしています。気さくな岡部さんが制作中の様子も見ることができます。 有馬にお越しの際には、是非、お立ち寄りいただきたいお店です。 |
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有馬温泉を見おろす落葉山(標高533m)には、有馬温泉街にある観光総合案内所の裏手から登ることができます。現在、落葉山は、妙見寺の境内になっていますが、南北朝時代には、落葉山城(別名 有馬城)があったと伝えられています。
築城者は不明ですが、南朝方の湯山左衛門三郎が居城としていたと古い文献に書かれています。戦国時代には、細川氏の重臣であった三好之長の子、政長が落葉山城を拠点に播磨や丹波へと進出しようとしましたが、1539年、三木城主の別所家直に攻められ、三好政長は河内国へと敗走しました。 その後、落葉山城は、三田城主の有馬村秀の支配下となりましたが、1579年に信長の息子、織田信忠が攻めて、落城させました。落葉山からは、有馬の街並みが一望できます。 |
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湯泉神社から愛宕山を上ると、愛宕山梅林、展望台、天狗岩があり、有馬温泉街を見渡すことができます。
行楽シーズンには、ハイキングコースとして人気があります。 袂石、仏座巖、天狗岩などは古代の巨岩信仰の遺跡ではないかと言われています。 |
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射場山と愛宕山との間の谷を地獄谷と呼んでいます。ここは、数十万年前の地殻変動によってできた射場山断層です。
この谷には、 鳥地獄・炭酸地獄・虫地獄などがあります。この断層の割れ目から、多量の炭酸ガスが噴き出て、虫や小鳥などが死んだところから、こう名付けられたとされています。 この付近に湧き出ている炭酸水も、かつては、その成分が分からず、住民から"毒水"として恐れられていました。 この毒水の湧き出ていた「血の池」という炭酸泉に目をつけた三田城主の山崎家盛が温泉場をつくろうとしましたが、驚いた住民が秀吉に直訴し、その工事を止めさせました。 |
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有馬温泉の中心、愛宕山の中腹に鎮座し、有馬の氏神・温泉守護神として崇敬されている湯泉神社は、大己貴命・少彦名命・熊野久須美命の三神をお祀りしています。草創期のご祭神は大己貴命(大黒さま)と少彦名命(医薬の神)でした。ついで、
仁西上人の有馬再興(1191年)の頃から熊野信仰の影響を受けて、
熊野久須美命を併せ祀り、有馬温泉鎮護三神と呼ばれるようになりました。歴史は古く、927年に撰上された「延喜式神名帳」に有馬郡の大社として数えられ、日本書記にも、舒明天皇・孝徳天皇・白河法皇などの参拝が記されています。
毎年1月2日に「入初式」が行われ、湯泉大神様と有馬の開祖である行基・仁西両上人に感謝するとともに、その年の初湯を神前に奉り、有馬温泉の繁栄と安全を祈願します。 これは、江戸時代から続いている、神仏合同の古式豊かな祭典です。
また、 子授けの神としても有名で、有馬の湯に入り、温泉神社で祈願すれば子宝に恵まれると伝えられています。 中でも、玉鉾さま、阿福さまと呼ばれている子授けの御守りは全国各地より求められています。 これは、平安時代末期の伊呂波字類抄という日本最古の辞書にも記載されていますが、子宝に恵まれない人々が男形・女形それぞれの形をつくり、夜陰ひそかに神前に献じ、子授けを祈願していたことから始まっています。 |
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愛宕山の山麓、滝本町にあるのが滝本神社です。
急な石段を上ると静かなたたずまいの神社があります。 ここには、小さな百度石もあります。また、 紅葉シーズンには、大きなイチョウや紅葉が色づき、お楽しみいただけます。 |
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太閤の湯殿館の前に豊太閤の碑があります。
太閤秀吉は有馬温泉三恩人の中の第一人者だと言われています。 太閤の湯殿館については、2003年2月に発行しました"有馬ナビ#5「太閤の湯殿館」と秀吉の愛した有馬温泉"で、詳しくご紹介していますので、是非ご覧下さい。 |
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豊太閤の碑の隣に、鍋屋多右衛門彰徳碑が建てられています。
鍋屋多右衛門は、天保の大飢饉(1833〜36年)の際に有馬温泉を救済した大恩人です。 有馬温泉は数多くの先人の努力のおかげで発展してきました。 |
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舒明天皇・孝徳天皇(630〜670年代)の有馬温泉行幸の折に有馬字杉が谷に有馬行宮(杉が谷行宮)が造営されましたが、この有馬行宮の守護神として稲荷大神を勧請し、これがありま稲荷の発祥となりました。
1904年に標高689mの射場山(功地山)の中腹に移転、造営しました。 稲荷神社の参道を上ると、三丹州と呼ばれる丹波・丹後・但馬まで見渡すことができます。 |
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