有馬温泉の中心にある念仏寺は、1532年の創建で、開基は岌誉上人です。創建時には、谷之町にありましたが、慶長年間に現在地に移っています。見晴らしの良い高台で、太閤秀吉・北の政所の別邸跡と言われる、有馬の一等地でした。
徳川家康の檀那寺である大樹寺が浄土宗であったので、同じ宗派の念仏寺に特別の配慮があったものと思われます。
現存の本堂は有馬温泉で最も古い建造物で、1712年の建立です。
ご本尊は快慶作と伝えられる阿弥陀仏立像、また法然上人画像「月輪御影(つきわのみえい)」も寺宝として所蔵されています。また、 神戸七福神巡りの一つである寿老人が祀られており、参詣人が絶えません。
平家物語の冒頭に出てくる「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」で知られる沙羅の木は夏ツバキの別名で、花の見ごろは6月中旬から下旬です。
朝咲いて夕方には散ってしまう所から、世の無常を象徴していると言われます。
念仏寺の庭では、樹齢250年の沙羅の木を中央にして、二つの石が相対座しています。
向かって右を「ハマグリ」石、左を「スズメ」石と呼び、中国のことわざ、「雀は海に入り蛤となる」を表現したものと言われています。突風にあおられた沙羅の花がポトリとこの石の上に落ち、転がった後、苔の上で静かに休むという情景は、正に静寂そのものです。
沙羅双樹は、お釈迦さまが入定された時、いっせいに花開き、その死を悲しんだと言われ、仏教とゆかりの深い銘木です。ある書物には、「沙羅の花は一日だけの生命を悲しんでいるのではなく、与えられた一日だけの生命を精一杯咲き尽くしている」と記されています。
一絃琴は、一枚の板の上に一本の絃を張っただけの極めて簡単素朴な楽器で、板琴、一つ緒の琴と呼ばれることもあります。
一絃琴の歴史は、一千百余年の昔(平安時代初期)、中納言、在原行平が勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び、自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられています。
このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきました。
江戸時代に河内国の高僧、覚峰律師によって復興され、名人真鍋豊平の活躍もあって、幕末から明治前半にかけては、高貴風雅な音楽として、文人墨客の間に愛好されていました。
しかし、その後、西洋音楽の流行に圧されて衰微の一途をたどり、戦後は、一絃琴を演奏できる人がほとんどいないという状態になってしまいました。しかし、現在では須磨琴保存会の努力により、1976年には兵庫県重要無形文化財の指定を受けるまでになっています。
|