有馬の中心街から
ループバスに乗って「瑞宝寺公園入口」または、「杖捨橋」で下車します。
瑞宝寺公園へは、「瑞宝寺公園入口」バス停から長い坂道を上ります。また、「杖捨橋」バス停からは、橋を渡り紅葉坂を上ります。
坂を上って行くと、紅葉に囲まれた山門が見えてきます。この山門は、明治初年(1868年)京都の伏見桃山城の遺構から移築したと言われています。
山門をくぐると左手に食事処があります。紅葉シーズンのみ営業していますので、今は閉まっていますが、去年の秋には、おでん、うどん、甘酒などが楽しめました。元気なおばあさんたちが、お料理を作っています。
この瑞宝寺公園には、
太閤秀吉が「いくら見ていても飽きない」と、ほめたという清閑な庭があります。また、時の経つのも忘れるという所から、別名「日暮らしの庭」とも呼ばれています。
秀吉の死後、慶長9年(1604年)に大黒屋宗雪が瑞宝庵を創設しました。その孫、寂岩道空は黄檗宗に帰依し、瑞宝寺を新しく建立しました。
文化年間(1804〜1817)には25代目である草頂文秀が堂塔伽藍をすべて完備しました。その法弟、慈定真戒が境内の整備に意を注ぎ、とりわけ、楓桜の植樹に努めました。この頃から瑞宝寺は「日暮らしの庭」、「錦繍谷」として、世に大きく知られてきました。
その後、瑞宝寺は明治6年(1873年)に廃寺となりましたが、昭和25年(1950年)豊臣秀吉の遺徳を偲ぶ
「有馬大茶会」が始まり、また、瑞宝寺跡を神戸市が昭和26年(1951年)に公園として整備しました。毎年11月2日、3日の両日には、豊臣秀吉が千利休らと大茶会を催した故事にならい、有馬大茶会の野点が催されています。
公園内には、大きな石塔や秀吉が愛用したと言われる石の碁盤があります。
また、
次のような和歌が書かれた歌碑が建てられています。
この歌は、「後拾遺集」に収められており、「小倉百人一首」にも選ばれている恋の歌です。足遠になった男が女の心を探るような歌を寄せてきたので、「どうして私があなたを忘れたりするものですか。お忘れになったのは、あなたではありませんか。」と言い返した歌です。
この公園の中には休憩所が点在していますので、ゆっくり紅葉を楽しめます。
神戸市の
「花の名所50選」にも選ばれており、春には美しい桜が見られます。