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有馬の風土と歴史■神話時代
大己貴命、少名彦命の二神が烏の入湯するのを見て、有馬温泉を発見したと伝えられる。
■飛鳥時代
631年(舒明3年) | 舒明天皇が有馬に入湯。 |
647年(大化3年) | 孝徳天皇が有馬に入湯。 |
■奈良時代
724年(神亀元年) | 行基上人が有馬温泉を再興し、温泉寺などの寺院を建立。 |
■平安時代
平安時代初期、多くの人が有馬に入湯し、にぎわう。
1097年(承徳元年) | 大洪水のため、有馬温泉が荒廃。 |
1191年(建久2年) | 吉野山の僧、仁西上人が有馬温泉を再興。薬師如来を守護する十二神将にちなんで「十二坊」をつくる。 |
■鎌倉時代
1203年(建仁3年) | 藤原定家が有馬に来訪、以後12回にわたり入湯。 |
■室町時代
1385年(至徳2年) | 足利義満が有馬に入湯。 |
1461年(寛正2年) | 足利義政が阿弥陀堂を勧進して、再興。 13?16世紀にかけて貴族や各地の豪族など多くの人が有馬を訪れ、にぎわった。 |
1564年(永禄7年) | 足利義輝が有馬に入湯。 |
■安土桃山時代
1575年(天正3年) | 大火で寺や民家が焼きつくされ、有馬は荒廃。 |
1579年(天正7年) | 織田信長の出陣のため、秀吉が有馬郡に道普請をさせる。 |
1583年(天正10年) | 秀吉が有馬温泉再興のために手厚い保護と援助を行う。 1583?94年の11年間に北政所をともない、9回も入湯。北政所は薬師堂の再建に銭千五百貫と毎年百石の米を寄進。 |
1590年(天正18年) | 秀吉が全国を統一、阿弥陀堂で大茶会を開く。千利休、小早川隆景、有馬法印らが参加。 |
1594年(文禄3年) | 秀吉が有馬に別荘を建て、立退きの民家65戸に対して年貢を免ずる。 |
1596年(慶長元年) | 7月12日夜半、近畿大地震が発生。有馬では湯屋、民家が倒れ、秀吉の別荘も大破。温泉の温度が上がり、入湯不能になる。 |
1597年(慶長2年) | 秀吉は地震で損壊した有馬温泉を2年近くかけて、再興。 1598年(慶長3年) 新しく湧き出た温泉(上之湯、願の湯)に秀吉が御殿を建てさせるが、8月18日、秀吉死去。 |
■江戸時代
1605年(慶長10年) | 念仏寺が谷之町より秀吉の御殿跡である現在地に移る。 1617年(元和3年)「有馬名所図会」に旅館40軒と記されている。 |
1621年(元和7年) | 幕府の儒学者、林羅山が入湯し、「有馬温湯記」を著わす。 |
1634年(寛永11年) | 荒木又右衛門が仇の河合又五郎を追って有馬に来る。 |
1658年(万治元年) | 8月13日、有馬に大洪水が起る。 1661?72年、瑞宝寺を創建。 |
1695年(元禄8年) | 6月29日、温泉寺が全焼し、報恩寺も類焼。 |
1697年(元禄10年) | 湯泉神社を再建し、8月13日遷宮。 |
1703年(元禄16年) | 11月29日、大火があり、有馬全域が類焼。 |
1712年(正徳2年) | 念仏寺を再建。 |
1753年(宝暦3年) | 大火があり、温泉寺、湯泉神社、林渓寺ともに全焼。 林渓寺は落葉山の麓より現在地に移る。 |
1766年(明和3年) | 再び大火に見舞われ、有馬の街が荒廃。 |
1770年(明和7年) | 1770年(明和7年)松岡雄淵が「有馬六景」を選ぶ。 |
1770年(明和7年) | 松岡雄淵が「有馬六景」を選ぶ。 |
1773年(安永2年) | 大火があり、湯泉神社、薬師堂、極楽寺など炎上。 |
1805年(文化2年) | 地理学者、伊能忠敬が有馬に入湯。 |
1827年(文政10年) | 頼山陽、有馬に入湯。彼の友人で中国の文人である江芸閣が「日本第一神霊泉」という石碑を建てる。 |
1836年(天保7年) | 天保の大飢饉で有馬の戸数が半減。 |
■明治以降
1868年(明治元年) | 県より男女混浴禁止令(有馬特例で明治25年から) |
1872年(明治5年) | 福沢諭吉が有馬に滞在。 戸数 343戸、人口 1341人 |
1873年(明治6年) | 瑞宝寺が廃寺となり、その跡地が公園になる。 |
1874年(明治7年) | 大阪?神戸間に鉄道が開通。住吉駅から六甲越えをして有馬に行けるようになる。 |
1875年(明治8年) | 毒水と恐れられていた炭酸水の薬効が立証される。 |
1883年(明治16年) | 温泉浴場を洋館に改築、湯女を廃止。 井上馨、山形有朋、後藤象二郎、他名士多数が有馬に入湯。 |
1890年(明治23年) | 幸田露伴が下大坊に滞在し、「まき筆日記」を著わす。 |
1899年(明治32年) | 「六甲山鳴動」と呼ばれる地震で、温泉の温度が上昇。 |
1900年(明治33年) | サイダー製造会社が有馬に設立される。 |
1911年(明治43年) | 9月7日、大雨で滝川が氾濫、太古橋(太閤橋と改称)が落ちて高等温泉が被害を受ける。 |
1914年(大正4年) | 4月16日、有馬鉄道 有馬?三田間が開通。 鉄道駅近くにラジウム温泉を開業。 |
1918年(大正7年) | 竹久夢二が有馬に滞在し、入湯。 |
1927年(昭和2年) | 蒋介石が有馬にて宗美齢と婚約。 |
1928年(昭和3年) | 神戸電鉄 湊川?有馬間が開通。 |
1932年(昭和7年) | 六甲ケーブルカーが開通。 |
1938年(昭和13年) | 7月5日、阪神大水害によりラジウム温泉が流失。 |
1947年(昭和22年) | 3月1日、神戸市と合併し、神戸市兵庫区有馬町となる。 |
1949年(昭和24年) | 10月、有馬温泉観光協会を設立。 |
1950年(昭和25年) | 豊臣秀吉の遺徳を偲ぶ「有馬大茶会」が始まる。 天神泉源を掘る。この後、極楽泉源、妬(うわなり)泉源などが出来、各旅館が内湯となる。 |
1956年(昭和31年) | 表六甲有料道路が開通。六甲山・摩耶山が瀬戸内海国立公園に編入される。 |
1958年(昭和33年) | 皇太子殿下(今上天皇)が有馬に御入湯。 |
1961年(昭和36年) | 芦有道路が開通。 |
1962年(昭和37年) | 有馬?三宮間の直通バスが開通。 |
1967年(昭和42年) | 六甲有料道路 六甲トンネルが開通。 |
1970年(昭和45年) | 六甲有馬ロープウェーが開通。 |
1973年(昭和48年) | 8月1日、神戸市北区有馬町となる。有馬鉄道が廃業。 |
1982年(昭和57年) | 5月30日、ゆけむり広場が出来て、ここに「茶人太閤像」が設置される。 |
1988年(昭和63年) | 北神急行が開通、新幹線の新神戸駅と直結。 |
1995年(平成7年) | 1月17日、阪神淡路大震災で有馬も大きな被害を受ける。 有馬川の河川敷に親水公園が出来る。 |
1996年(平成8年) | 「ねね橋」が出来る。 |
1997年(平成9年) | ねね橋のたもとに「ねね像」が設置される。 太閤の湯殿跡の文化財調査が行われる。 |
1999年(平成9年) | 神戸市立太閤の湯殿館が開館。 温泉寺 御祖師庵(みそしあん)を開設。 |
2001年(平成13年) | 新しい外湯「銀の湯」が開湯される。 |
2002年(平成14年) | 旧温泉会館跡に外湯「金の湯」が開湯される。 |
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