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龍泉閣スタッフブログ
温泉寺から、念仏寺、極楽寺、銀の湯の前を通り過ぎて、さらに坂道を上っていくと、タンサン坂があり、その坂を上りつめたところに『炭酸泉源』を中心にした小公園『炭酸泉源広場』があります。
この広場の片隅に『炭酸泉源』碑があり、江戸時代まで毒水と恐れて誰も近づかなかった泉水が1873年に至って、飲用・浴用に適した薬効のある良質の炭酸水であると判定された経緯などが刻まれています。広場正面の上屋に炭酸泉の井戸があります。
また、井戸の前にある蛇口では、炭酸泉を飲泉できます。
1875年に、この炭酸泉を利用して日本で始めてのサイダーが作られました。また、有馬の名物『炭酸せんべい』の名前の由来にもなっています。このサイダーの復刻版『有馬サイダーてっぽう水』をぜひご賞味ください。
炭酸泉源 11:57 です。
さて、炭酸泉源から坂を上り、稲荷神社を過ぎると『地獄谷』に着きます。
『地獄谷』は、射場山と愛宕山との間にある谷です。ここは、数十万年前の地殻変動のときに出来た射場山断層です。かつては、この断層の割れ目から炭酸泉が湧き出し、炭酸ガスが噴き出していました。炭酸ガスが大量に噴き出して虫や小鳥などが苦しんで死んだところから、江戸時代までは、この谷を『地獄谷』、炭酸ガスが噴き出した辺りを『虫地獄』、『鳥地獄』などと呼んでいました。今では、炭酸泉も炭酸ガスも涸れてしまい、その面影もなく今では石碑だけが残されています。
また、この地獄谷を訪れた後、鼓ケ滝を巡る散策コースは、古くから湯治客の散歩道として親しまれ、鎌倉・室町時代の五山文学の詩集などにも登場しています。
地獄谷 12:03 です。
しかし、今回は、ここから『魚屋道』を六甲山方面に登ります。
石碑には、
「六甲山頂ニ到ル 三,七二六・00メートル
住吉ニ到ル 一二,七一三00メートル」
と記されています。
昔は、魚屋道を使い、瀬戸内海で採れた新鮮な魚を、有馬温泉に歩いて運んでいました。
今では、ハイキングコースとして整備されており、昔話のように狼がでてくるなんてことは、まず、ありません。(整備されてなくてもありません)
つづら折の山道を登っていくと、『炭屋道』との分岐点に着きます。途中、ハイカーの人たちと何度も出会います。
もう少し進むと、以前紹介した茶屋跡ですが、今回は時間を計るためパスします。
磯部さんによると、昔は、旅館の番頭さんが、遅く到着されるお客様をお出迎えにこの辺りまで来ていたそうです。その名残が、茶屋跡や古い井戸跡だそうです。また、茶屋の側の谷には、古い食器などが落ちているそうです。
魚屋道・炭屋道分岐点 12:25 です。
炭屋道から癒しの森を紅葉谷の方へ下っていきます。途中、落葉広葉樹が目立ちます。
コナラの木がきれいに繁っていました。
?コナラ?
コナラ(小楢)、別名ホウソはブナ目ブナ科コナラ属の落葉広葉樹。小楢の名はもうひとつの日本の主要なナラであるミズナラの別名である大楢(オオナラ)と比較してつけられたもの。
本州、四国、九州、朝鮮半島、中国に分布する。日本では雑木林に多く見られる。葉は長楕円型で縁にとがった部分がある。花は4 – 5月、若葉が広がる時に咲き、秋に実(ドングリ)が熟す。樹皮には縦に裂け目がある。
落葉樹だが、秋に葉が枯れた時点では葉柄の付け根に離層が形成されないため葉が落ちず、いつまでも茶色の樹冠をみせる。春に新葉が展開するころに枯れた葉の基部の組織で離層が形成され、落葉が起きる。
材は木炭の原料や、シイタケの原木に使われる。多くの菌類と菌根を作るため、コナラ林には多くの菌根性のきのこが出現する。関東以西ではクヌギと並んで人里の薪炭林に植栽され、重要な燃料源であった。
『癒しの森』には、昭和戦前頃まで、多くの炭焼き窯がありました。癒しの森にある石積みは、かつての炭焼き窯の跡です。ここから、この道は『炭屋道』と名付けられました。
炭焼きは、適度な伐採を繰り返す為、良好な森を守るという点から効果が見直されています。
炭屋道を下り、紅葉谷道との分岐点につきました。
炭屋道・紅葉谷道分岐点 12:36 です。
ここまで、約1時間です。
さすがに汗が出てきました(>_<)
次に、有馬温泉方面に右に折れます。広い道が続き、左手に、川やダムが見えます。
5分ほど歩くと、左手の川にむかい、階段が続いています。
川を渡ると、この先に、今日の本命『高塚の清水』があります。
「やった?!高塚の清水が飲める?(●^o^●)」
高塚の清水 12:45です。
?高塚の清水?
有馬温泉の南の端に太閤秀吉の愛した清水があったという伝説がありました。有馬在住の磯部道生氏が古文献を頼りに約2年間も山中を探し歩き、漸くその清水を再発見しました。以下は、この清水に関する古文献です。
1672年 「有馬私雨抄 迎湯有馬名所鑑」
高塚の清水は有馬三水の内なり。湯本より南の山中にあり。いさぎよく、いと冷ややかにて味わい又すぐれたり。関白秀吉公御入湯の為、有馬におわしましし内、御茶の水に此清水を呑きこしめされ、御帰城の後も大坂より常々汲みにこさしめ給えり。如何なる日てりにても、いささかもかわく時なし。さるによって此清水、独鈷清水、筒井清水、是を有馬三水といい、其の内の第一なり。
暑き日に往来の人のまつとふや 名も高塚の清水いつこと 光重
汲とりし跡に飛ほとわき出るや はし高塚の清水なるらん 行安
1701年 「摂陽群談」
筒井清水 有馬郡上津村にあり。所伝云、昔筒井氏山荘の旧地を以て、号え云へり。
高塚清水 同郡湯山にあり。所伝、筒井に同じ。
独鈷清水 同郡名塩村にあり。所伝云、弘法大師是大厳道に曲り、旅人の煩を救んため、独鈷を以て傍に刎落して、往来を安からしむ。其独鈷の当る所、流水湧き出す。因て号之。
一名戸窪清水とも云へり。
以上三の清水を指て、有馬三水と称す。
1716年 「有馬温泉記追記」
高塚の清水 湯所より南の山中
1720年 「五畿内志」
高塚の秀水 在湯山町
1796年 「摂津名所図絵」
湯山にあり。有馬三名水の其の一つなり。名義不詳
1815年 「有馬温泉由来記」
高塚の清水。鼓ヶ滝上三四丁斗り山手にあり、岩穴より水でる。
有馬三水の一つにして炎天にも氷を握るが如し。太閤秀吉公此の地に御入湯の砌、御茶の水に汲ましめ給ふ。御帰城の後も大坂より常に汲みに越さしめ給ふとかや。
有馬三水は、いわゆる高塚の清水、独鈷清水、筒井清水なり。独鈷清水は名塩村の内、京大坂より丹州摂州へ行き通ふ道なり。いにしへ弘法大師末世には往来と成るべき地なり。人馬の労を助けんと独鈷を持って岩を穿ち給へば、忽ち湧き出しとなり。
筒井清水は上津村の畑中にあり、播州赤松道 長尾谷にあり。古へ当国の領主より人を制し谷水の滴り入らざるように井筒の構えけるとなり。
1884年 「湯山町誌」
本町の南方、鼓ヶ滝より上ること三丁の山間にあり、岩孔より清水流出す。
本郡中三水の一にして往時豊臣氏入湯中、汲みて以て茶用の飲水とし、帰城の后も使節を以て汲み帰りしと古老の古伝あり。
「うま???い(*^_^*)」
さすが太閤さんが大阪まで運ばせた水です。
冷たい清水は、汗をかいた後なので、最高です!
摂陽群談によると、有馬三水は、旧有馬郡上津村(現在の神戸三田アウトレットの辺り)の筒井清水、同郡名塩村(現在の宝塚市名塩)の独鈷清水、そしてこの同郡湯山(有馬温泉)の高塚清水です。この広い範囲で選ばれるだけの美味しさです。
有馬保勝会や兵庫登山会の方が、高塚の清水を保全していますので、自然を大切に、ゴミは持ち帰りましょう。
また、危険な場所もあるので、十分に気を付けて下さい。(今の季節はスズメバチも見かけます。)
美味しい水を飲んで、さあ、出発です(^O^)/
左手に、『六甲有馬ロープウェイ』をみながら、有馬温泉街にむかいます。
古の旅人の気持ちになりながら、温泉街を歩きます。
ねね橋には、13:07 に帰って来ました。
所要時間1時間26分、
お客様におすすめするには、
?もう少し足を延ばして2時間コース
?もう少し短縮して1時間コース
のどちらでしょうか?
魚屋道?炭屋道?紅葉谷道は、お子様には厳しそうですが、高塚の清水には、ぜひ、立ち寄っていただきたいです。
鼓ヶ滝公園?高塚の清水ぐらいが、ちょうどいいかもしれません。
また、色々なコースを歩いてみたいと思います。
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