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龍泉閣スタッフブログ
神戸にある『相楽園』に行ってきました。
相楽園は、神戸市街地にある紅葉の名所です。
とてもきれいな庭園を歩いていると、三宮にいることを忘れてしまいます。
相楽園の周辺には、駐車場がないので、約200メートル海寄りの花隈公園の駐車場に駐車しました。
『花隈城』の石垣跡の地下部分が駐車場になっています。
お城があった頃は、もっと海が近くて、遠くまで見渡すことが出来たんだろうなと思います。
花隈城は、1574(天正2)年に織田信長が、 当時敵対関係にあった毛利氏と石山本願寺の海上交通を遮断するために、部下である荒木摂津守村重に命じて築いたとされる説が有力です。本丸・二の丸・三の丸・天守を備えた立派な城で、広さは東西200m、南北は100mで、現在の花隈町とほぼ同じ広さにあたります。しかし、海陸の要害地として偉容を誇っていたこの城の運命も長くはありませんでした。村重に、信長と敵対関係にあった石山本願寺に物資を供給しているという疑いがかけられたのです。 信長の性格を知る村重は、いったんかかった疑いを晴らすのは困難と考え、本当に謀反を起こすに至ります。そこで信長は、自分の腹心である池田輝政に花隈城攻撃を命じました。池田輝政は諏訪山や大倉山を拠点に花隈城を攻撃し、1580(天正8)年2月、城はあえなく陥落します。
さて、徒歩で約10分、北東の方角へ歩くと、相楽園の立派な正門が見えてきます。
相楽園は、神戸の都市公園の中で唯一の日本式庭園で、元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏が明治18年頃築造に着手し、明治末期に完成したものです。(平成17年11月に相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。)
戦前には、園内に豪壮な本邸その他付属建物がありましたが第二次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎(昭和45年6月重要文化財指定)、塀および各門が名残をとどめています。
その後、旧ハッサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、 相楽園会館(昭和38年10月完成)、茶室(昭和38年10月完成)、船屋形(昭和55年移転)などが 建築され、往時にまさる景観が見られるようになりました。
園内には、明治40年に鹿児島から移植されたソテツが約100株群生しています。自生地は暖かいところですが、公園や庭などにもよく植えられています。寿命が長いことから、縁起がいいといわれ、相楽園のソテツも樹齢約250年。旧小寺邸の当時から、別名蘇鉄園とも言われていました。どの蘇鉄もとても大きくて、蘇鉄園の中に入ると自分が小さくなったような不思議な感じがします。
名木、『相楽園の樟』です。
本当に大きくて、遠くから見てもとても立派です。
相楽園の中で一際目立つ、大クスノキは、築山に戦国の勇将荒木村重が栄禄10年(1567)に花隈城を築いたときに、鬼門の方向に植えられたと伝えられています。その下には、重さ11tもある大きな六角灯篭があります(一部震災で補修されました)。
『旧小寺家厩舎』は、明治43年ごろに相楽園の所有者であった元神戸市長小寺謙吉氏が厩舎としてこの地に建てたものです。
円形の塔屋、急勾配の屋根や屋根窓、豊富な切妻飾りなど、変化に富んだ意匠で飾られています。L型の平面を持ち、北側1階には 馬車を入れる車庫2階には厩務員のための宿舎があります。東側に高い吹き抜けの天井を持つ馬房があるほか前面にひろく広場を設 けています。
設計者はドイツ留学の経験をもち、司法省関係の庁舎等を多く手がけ、当時神戸に住んでいた河合浩蔵です。(昭和45年6月17日重文指定)
その西隣には、『旧ハッサム住宅』があります。
英国人貿易商ハッサム氏が明治35年頃に建てて住んだもので英国人 建築家の設計になるものです。
かつては異人館街(北野町)にありましたが昭和36年に神戸市が寄贈を受け、昭和38年に現在の場所に移築保存されました。建物は木造2階建、寄棟造棧瓦葺でベランダ、ヨロイ戸、下見板等、当時の日本建築に見られない構造をもち、明治開港当時の港町(神戸・横浜 ・長崎等)に於ける洋式の装飾主義外人住宅の典型的なものです。
なお、前庭の2本のガス灯は明治7年頃旧外国人居留地に建てられていたもので、わが国の街灯用ガス灯としては非常に早い時期のものです。(昭和36年6月7日重文指定)
阪神淡路大震災により、旧ハッサム住宅も大きな被害を受けました。この煙突は屋根、2階の床を突き抜け、1階まで落下し、北西の部屋を大破しました。
建物の修理の際に内部から取り出しましたが、地震の激しさを伝えるために、この場所に保存されています。
園内のもみじの紅葉も始まっていました。
もみじに囲まれた『浣心亭』が池に映る姿はとてもきれいで、心が静まる感じがします。
旧小寺邸の本邸『樟風館』の離れとして建てられた『浣心亭』ですが、戦災で消失しました。小寺邸が神戸市に譲渡された後、昭和38年に相楽園会館といっしょに建てられました。
8畳の本席(水屋3畳)に4畳の台目と寄り付きのある本格的な茶室です。ツツジ遊山や菊花展の時に、茶席が催されます。
池のほとりには、『船屋形』も保存されています。
こんなにきれいで豪華な船の中で、お殿様はどんな風に過ごしていたのだろうかと想像してしまいました。
この船に乗って参勤交代の為に江戸へ向かっていたのかと思うと、歴史で習った江戸の世界が何だか身近に感じられます。
この船屋形は、江戸時代、姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた『川御座船』の屋形部分だけが陸揚げされたものです。建造年代は1682?1704年の間と推定されます。牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈され、昭和55年この地に移転されました。木造2階建、切妻造桧皮葺で内部 は1階2階とも3室に分かれていて、前方より『床几の間』『上段の間』『次の間』となっています。中でも2階中央の『上段の間』は最も重要 な部屋で、殿様の御座になります。木部は内外とも全てを春慶塗と黒漆塗 に塗分け、長押や垂木の先には金箔を施した飾り金具を打つなど非常に華麗で繊細な造りとなっています。現存する川御座船としてはこれが唯一のものです。(昭和28年8月29日重文指定)
園内の池はとても澄んでいて、鯉や亀が泳ぐ様子も見られます。
この写真の亀はとても仲良しで、片方の亀がもう片方の亀の頭をナデナデ(?)していたのを目撃してしまいました。ちょっと驚きました(゜o゜)
相楽園を出て、駐車場に戻る途中に、『兵庫県公館』があります。とても立派な建物です。
中庭を中心とする回廊式のフランス・ルネッサンス様式の壮麗な建築で、設計は文部技官山口半六です。竣工時は日本最大級の庁舎建築でした。これは1890年代から東洋最大の海運市場を有するようになっていた神戸港の往時の繁栄を映したものともといえます。
第二次世界大戦の神戸大空襲で外壁以外の全てを焼失するなどしたため、これまで二度の大改修工事が行われてきました。1983年に県庁庁舎としての役割を終えたのを期に、外装および内装が細部に至るまで竣工時の姿へと復元され、1985年に「兵庫県公館」と名前を変えて再開館しました。建設当初から残るものは建物外壁のみですが、その歴史的文化的価値の高さから国登録有形文化財に登録されています。
館内には洋画家小磯良平の作品「KOBE, THE AMERICAN HARBOUR」と、その25倍の大きさの西陣織タペストリーなど、金山平三、東山魁夷、横尾忠則ら県所縁の芸術家の作品が多数展示されており、また大会議室や第一会議室は芸術系展覧会開催に利用されるなど、館全体が美術館・博物館としての性格も持っています。
今回は、神戸の相楽園をご紹介しました。有馬ナビでも、神戸の史跡などを紹介していますので、ぜひご覧ください。
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