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龍泉閣スタッフブログ
太閤の湯殿館で開催されている『有馬山温泉寺伝来 銅製経箱 里帰り記念展示会』に見学に行ってきました。
「お!これが観光協会がオークションで手に入れた銅製経箱かぁ!」
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今回は、学術的な話が多いので、有馬温泉観光協会のページから、説明文を抜粋させていただきました。
■温泉寺の「焼け経」とその経箱の由来について(焼けた経典は行方不明)
享禄元年(1528)の大火で、温泉寺薬師如来像の頭部が焼け落ち、その中からメモが見つかった。そのメモをもとに温泉寺の如宝塔(にょほうとう)の下を掘ると、金・銀・銅の三重箱に納められ、経箱の蓋(ふた)には「金紙金字一乗妙典、大慈大悲(だいじだいひ)両界曼荼」と記された経箱と経典等が見つかった(『実隆公記』享禄2年3月8日条)。昔から有馬には、平安時代末期の僧 尊恵(そんえ)が閻魔王宮(えんまおうきゅう)に行き、閻魔王から法華経・両界曼荼羅(りょうかいまんだら)を贈られた、という縁起が伝えられていた(清澄寺蔵『冥途蘇生記』、『温泉行記』宝徳4年4月11日・22日条等)が、その経典が発見されたとして大変な話題となり、後奈良天皇が叡覧され、またこれを機縁に温泉寺再建の勧進が行われ、京都の公家など多くの人々が復興に参画することになった(『実隆公記』享禄2年3月8日条、「温泉寺勧進帳」他)。
実は、鎌倉時代(13世紀)以降、閻魔王の勧進に結縁するため、閻魔王宮の東門にあたると信じられた有馬・温泉山の如法堂の下に如法経を埋納することが行われていた(『是害坊縁起(ぜがいぼうえんぎ)』」、「有馬温泉山経塚 金銅板製経箱銘文」)。温泉寺伝来の銅製経箱もその一つで、尊恵と閻魔王の伝承にそって埋められたものと考えられる。経箱の蓋にある「金紙金字…」は、尊恵が国中を勧進し、金・銀・銅の三重箱に納めて有馬に埋めるよう閻魔王から勧められた伝承、また「大慈大悲…」は、尊恵が閻魔王から贈られた両界曼荼羅の伝承にもとづいている(如法経:法式により清浄に写経すること、またその経典や安置・埋納する供養のこと)。
発見以降、尊恵将来の閻魔王宮経として有馬の名物の一つになり、元禄5年(1692)までその存在を記録で確認できる(温泉寺蔵「月潭道澄偈頌」)が、その後の火災で経典は蒸し焼きになったようである。文政3年(1820)時点では、「焼け経」と呼ばれ、金襴(きんらん)の袋に焼けた経典を納めた経箱が伝来していた(『遊経漫録』)。
■銅製経箱の美術工芸的価値について
内箱(27.2×17.7×12.7cm)と外箱(28.1×18.8×14.0cm)の2点からなり、蓋(ふた)には両箱とも蓮台(れんだい)上の短冊形(たんざくがた)に「金紙金字如法妙典、大智大悲両部曼荼」と彫りつける。また内箱は短冊形の周囲を魚子地(ななこぢ)に蓮華唐草(れんげからくさ)で飾り、蓋表、側面を蓮華唐草で装飾する。一方、外箱の蓋表、側面は散華(さんげ)で装飾し、内箱と意匠が一部異なる。また内箱は鍛造(たんぞう)、外箱は鋳造(ちゅうぞう)によって造られたパーツにより、それぞれ組み立てられており、製作技法も異なっている。製作年代ついては、両箱が同一時期なのかどうかなど、今後の調査に待つところが多いが、内箱は南北朝から室町時代前期と思われる。
中世の銅製経箱の残存例は、吉野金峯山(きんぷせん)経塚出土品(平安時代 国宝・重文)、比叡山横川(よかわ)如法堂出土品(平安時代 国宝)、厳島神社平家納経(平安時代 国宝)、有馬温泉山経塚 金銅板製経箱(1271年 銘文「依閻魔法皇勧進 奉納温山如法経」「文永八辛未八月三十日 勧進比丘俊英」「如法経箱 温泉山」)、京都 要法寺所蔵経箱(1555年 重文)など僅かであり、その点からも、今回の銅製経箱は貴重なものといえる。
■ 専門家のコメント
安藤佳香(よしか)先生(神戸市文化財保護審議会審議委員 佛教大学教授)
内箱の蓋(ふた)表と側面に蓮華唐草(れんげからくさ)、外箱の蓋表と側面に散華(さんげ)を描き、内外両箱とも蓮華づくしの文様でうめ尽くされている。インド以来、聖なるものを生み出す「生命創造の華」として信仰されてきた蓮華に彩られたデザインは、内に納められた経典の尊さを眼にみえるかたちで示している。鏨(たがね)で丁寧に彫られた内箱の蓮華唐草文は、南北朝時代、室町時代の金工品にみられる文様と類似する粘りのある素晴らしい趣をみせる。内箱、外箱の製造技術の相異など、なお、慎重に検討すべき問題はあるが、遺品の少ない中世に製作された銅製経箱として貴重である。有馬に伝来したという由緒の確かさ、尊恵説話との関連も興味深く、美術史学のみならず、歴史学、国文学など様々な方面から今後、研究されるべき作例である。
■学術的内容についての問い合わせ先
神戸市立博物館 担当 問屋さん・川野さん TEL 078-391-0035
さて、太閤の湯殿館では、今回の展示会のほか、太閤秀吉ゆかりの品々が展示されています。
今回の展示会の詳細です。
開催期間:2月14日(木)?24日(日) ※最終日は午後3時まで
午前9時?午後5時(入館は4時30分まで)
場所:太閤の湯殿館
(〒651-1401 神戸市北区有馬町1642 TEL 078?904?4304)
入館料:一般200円、児童及び生徒100円(太閤の湯殿館入館料)
内容:銅製経箱2合とともに、関連資料を写真パネルなどで紹介。
また、太閤の湯殿館のすぐ隣に、温泉寺があります。
奈良時代に行基が開き、仁西が中興したと言われる温泉寺のお堂の両脇には、鎌倉時代末の作とされる五輪塔が2基ありますが、左側が平清盛(総高267cm)と右側が慈心坊尊恵(総高232cm)の五輪塔と伝えられています。
本堂内には、金色に輝く薬師如来像が、日光菩薩、月光菩薩と十二神将とともに祀られています。
日本最古の湯・有馬温泉には、たくさんの歴史資料がまだまだあります。これからも、機会があれば、紹介していきたいと思います。
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