「有馬ナビ」長月号では、『有馬の観光案内:集大成バージョン(前篇)』として主要な有馬温泉の観光施設およびお寺・神社をご紹介しましたが、今回は、さらに『集大成バージョン(後篇)』として、泉源・名所・その他の有馬情報を特集します。
この秋のご旅行には、紅葉と名湯で全国的に人気の高い有馬温泉で、“お子様に優しい宿”を目指しております「元湯 龍泉閣」にぜひお越し下さい。
また、水無月号より連載中の和英並記版「有馬の昔話4」として、第14話〜第16話をご紹介致します。ぜひ親子でお楽しみ下さい。
大勢のお客様に有馬温泉にお越しいただけますよう、龍泉閣スタッフ一同お待ち申し上げております。

“Ryuusenkaku” Web Site in English
Thank you for visiting our web site. We publish a monthly newsletter “Arima Navi” on this web site featuring hot topics for sightseeing in Arima Onsen, Mt. Rokko, the Kobe, and the surrounding areas.
Arima Navi October issue features “Sightseeing Spots in Arima: Compiled Version Part 2” in Japanese only, .and “Arima Folktales (Part 4: No.14 to No.16 Tale)” in English. We will continue to keep you informed of sightseeing spots in and around Arima Onsen on occasion.
All of the staff at Ryuusenkaku are eagerly waiting to serve the many visitors from around the world coming to the beauty of Arima Onsen and neighboring areas.


The Management
Ryuusenkaku
ryuusen@skyblue.ocn.ne.jp




有馬温泉の歴史は古く神話の時代までさかのぼります。
江戸時代には、全国でも指折りの湯治場として日本三名泉にも数えられ、数多くの人々が有馬に訪れました。太閤秀吉が愛した温泉地としても有名です。阪神・淡路大震災の復興作業中に太閤秀吉の湯殿跡も発見されています。有馬温泉は、大阪梅田より約1時間、神戸三宮より約30分とアクセスも良く、関西の奥座敷として親しまれています。泉質は、含鉄強塩泉の金泉と呼ばれる赤褐色の温泉で、「金の湯」「銀の湯」という公共の外湯が2つあります。

有馬町内のご散策には、「有馬ループバス(大人100円)」が便利です。春は、善福寺や有馬川の桜、初夏は、念仏寺の沙羅の花や有馬川の蛍(ホタル)、秋は、瑞宝寺公園の紅葉と四季折々のお楽しみもあります。六甲山頂までロープウェイが直通しており、六甲の山懐に抱かれた歴史ある有馬温泉の街並みは、人々の心を癒してくれます。このページでは、龍泉閣を拠点にしてお気軽にご散策いただける有馬の観光スポット・名所をご紹介しております。有馬温泉の観光をご家族やカップルで、ぜひお楽しみください。

有馬の観光スポットについては、これまでホームページや「有馬ナビ」で何度もご紹介しておりますが、今回、それらの“集大成バージョン”として下記の5つのジャンルに分けて取りまとめました。



▲ クリックすると拡大地図をご覧いただけます ▲



「有馬の観光案内:集大成バージョン(前編)」はこちら






有馬温泉は、地質学的には活断層(有馬高槻構造線)の西の端に位置しており、岩盤の割れ目を通って地下深くから温泉水が湧き出しています。泉源は、7箇所あるとされていますが、 泉質は、鉄分と塩分を多く含み、空気に触れると赤褐色になる「金泉」と炭酸分を多く含む無色透明な「銀泉」の2種類です。

有馬町の中心部のごく一部の地域では、80〜100℃近い「高温泉(42℃以上)」で、同じ町内でも、その周辺は、「冷鉱泉(25℃未満)」「冷温泉(25℃〜34℃未満)」「温泉(34℃〜42℃未満)」のいずれかです。龍泉閣の金泉も、敷地内に自家泉源が湧出しておりますが、活断層から少し離れた高台に位置しているため「冷鉱泉」です。
有馬周辺に火山がないのに熱い温泉が湧き出ているのも不思議ですが、そのままでは入浴できないほどの高温になったのは、太閤秀吉が晩年に遭遇した慶長伏見大地震(1596年)の後だと古文書に記されています。



「金の湯」の南隣りにある金泉の大きな泉源が「御所泉源」で、この周囲は、庭園としてきれいに整備されています。





この御所泉源の前の坂道を上っていくと、突き当たりに温泉寺、左手に極楽寺(太閤の湯殿館)があり、その裏手に「極楽泉源」があります。




「金の湯」の前を通り過ぎて、商店が立ち並ぶ湯本坂をさらに上って行きますと、昔ながらの赤くて、丸い頭の郵便ポストが目に入ります。この坂道から左手にたどると、「金の湯」の北東に隣り合って979年に建立された天神神社があります。その境内にあるのが有馬温泉の代表的な泉源である「天神泉源」です。ゴボゴボと湯のたぎる音が聞こえ、いつも白い湯けむりが立ちのぼっています。




天神泉源から少し戻り、向かって左手に進んでいくと、高い櫓(やぐら)と煙突が見えます。これが「有明泉源」で、現在稼動しているのは、“有明2号泉”です。




天神泉源から元の商店街に戻って湯本坂を少し上ると、妬(うわなり)神社の赤い鳥居があります。昔は、直ぐ側の小さな井戸から温泉が湧いていましたが、これが非常に古い「妬(うわなり)泉源」で、有馬の昔話によると、次のような言い伝えがあります。

昔々、ある人妻が夫に愛人がいるのを突き止めて、愛人を殺し自分も深い温泉に身を沈めました。その血生臭い出来事から後は、美しい女性が着飾ってこの温泉の側に立つと、湯が嫉妬して激しく湧き出したため、嫉妬深い湯だという意味で「妬湯(うわなりゆ)」と呼ぶようになり、そこに妬神社が建てられました。その後、この湯が涸れたため、すぐ裏手に新しく泉源が発掘され、「新妬(うわなり)泉源」と呼ばれています。





太閤泉とも呼ばれ、1966年に枯渇し廃止されましたが、阪神・淡路大震災後、再び湧き出しました。2002年12月オープンした「金の湯」の入口の横に飲泉場が設置されました。秀吉の馬印である“千成瓢箪”にちなんで、お湯の出口が「ひょうたん」形をしています。






念仏寺や極楽寺の前を通り過ぎて、さらに坂道を上っていくと、左手に通称タンサン坂があり、その坂を上りつめたところに「炭酸泉源」を中心にした小公園「炭酸泉源広場」があります。
ここからは、有馬の温泉街を見渡すことができます。泉源の下の池から、時折ボコボコと炭酸ガスを含んだ温泉が湧き出しています。1875年に、この炭酸泉を利用して日本で始めてのサイダーが作られました。また、有馬の名物「炭酸せんべい」の名前の由来にもなっています。このサイダーの復刻版「有馬サイダーてっぽう水」をぜひご賞味下さい。
(龍泉閣の売店でお求めいただけます。1本250円) この広場の片隅に「炭酸泉源」碑があり、江戸時代まで毒水と恐れて誰も近づかなかった泉水が1873年に至って、飲用・浴用に適した薬効のある良質の炭酸水であると判定された経緯などが刻まれています。広場正面の上屋に炭酸泉の井戸がありますが、現在は涸れています。しかし、井戸の前にある蛇口から炭酸泉水を賞味できます。





瑞宝寺公園から鼓ヶ滝に向かう道路の左側の、射場山と愛宕山との間にある谷が「地獄谷」です。ここは、数十万年前の地殻変動のときに出来た射場山断層です。かつては、この断層の割れ目から炭酸泉が湧き出し、炭酸ガスが噴き出していました。炭酸ガスが大量に噴き出して虫や小鳥などが苦しんで死んだところから、江戸時代までは、この谷を「地獄谷」、炭酸ガスが噴き出した辺りを「虫地獄、鳥地獄」などと呼んでいました。今では、炭酸泉も炭酸ガスも涸れてしまい、その面影もなく今では石碑だけが残されています。
この地獄谷を訪れた後、鼓ケ滝を巡る散策コースは、古くから湯治客の散歩道として親しまれ、鎌倉・室町時代の五山文学の詩集などにも登場しています。








有馬温泉の中心、有馬川の川原に「有馬川親水公園」があります。
春は「桜祭り」、夏は「有馬涼風川座敷」がここで開催されます。
有馬温泉の四季折々のイベントをお楽しみ下さい。


有馬涼風川座敷:毎年7月下旬〜8月下旬にかけて、河川敷にはライトアップされた、情緒あふれる川床風の座敷が設けられ、芸妓さんによる踊りや三味線などのステージをお食事とともにお楽しみいただけます。
また、縁日風のゲーム・コーナーや屋台も立ち並び、お子様にも大人気です。





神戸電鉄の有馬温泉駅の直ぐ右手に、太閤秀吉にちなんで命名された「太閤橋」があります。有馬温泉では目立つ雄大な橋で、橋のたもとには休憩できる椅子もあります。夏休みシーズンには、大勢の観光客が下を流れる有馬川の川原で催されるイベントを見物しています。

「湯けむり広場」は、有馬温泉の中心、太閤橋のすぐ側にあります。
こじんまりとした広場の一角に、有馬温泉の復興に尽力した有馬の三大恩人の一人、
太閤秀吉の像があります。

また、広場には、湯けむりをイメージした、滝のように流れ落ちる噴水があります。夜間は、噴水がライトアップされ、幻想的な雰囲気があります。噴水の中央部には、有馬の姉妹温泉である定山渓温泉から贈られた、小さくてかわいい河童の像が立てられています。




太閤橋の傍ら、「湯けむり広場」の対岸に注連縄(しめなわ)が張ってあり、古来より「袂(たもと)石」とか、「礫(つぶて)石」と呼ばれる巨岩がありますが、この岩は、高さ5m、周囲19m、重さ130トンもあります。
有馬の昔話によると、次のような言い伝えがあります。

むかしある時、松永蒲公英(たんぽぽ)城主が葦毛の馬に乗り、重藤(ふじどう)の弓と白羽の矢を持って鷹狩をしていると、 湯泉神社の祭神である熊野久須美命(くまのくすみのみこと)が狩場を通られました。松永城主は怪しく思って祭神様を射ようとしました。すると、祭神様は袂から小石を取り出して、松永城主に向かって投げつけました。この小石が年月を経て次第に大きくなり、袂から投げられたので、 袂石(たもといし)とか、礫石(つぶていし)と呼ばれるようになったと伝えられています。その後、葦毛の馬に乗り、重藤の弓、白羽の矢を持って有馬に入ることが禁じられました。もし、この掟を破って有馬に入れば、晴天が急に曇り、風雨が激しくなるとされています。

注:
「蒲公英(たんぽぽ)城」:神戸電鉄「道場駅」近くの小山の上にあった山城 (1579年落城)
「藤重(ふじどう)の弓」:補強と装飾の目的で藤づるを巻いてある丈夫な弓







太閤橋の直ぐ近くに「袂(たもと)石」と並んで、「仏座巖(ぶつざいわ)」と呼ばれる巨岩があります。江戸時代の初め、京都の東南にある霞谷の竹葉庵に隠棲し、文人としても高名であった日蓮宗の元政上人によって、その形が仏座に似ているところから、こう名付けられました。

元政上人は、1665年秋と1667年春に有馬を訪れていますが、その折の有馬滞在記“温泉遊草”の中で、「その上に菜畠を作り、なお、数十人を容れる余地がある」と巨岩の大きさを紹介しています。

元政上人の命名によって、その後、この岩は色んな文献に登場するようになりました。しかし、1812年の大洪水によって埋没してしまったため、現在では、岩の上部のみが地上に露出しています。

*賤の女やつみたすからん仏座巖 上に菜まいたまいたまいた:重香(迎陽有馬名所鑑)




太閤橋から有馬川沿いの道を上流に少し行くと、滝川と六甲川が合流して有馬川になる辺りに、欄干が赤く塗られた小ぶりな「ねね橋」が架かっています。その橋の直ぐ側に秀吉の正室「ねね」の像があり、少し離れた「湯けむり広場」に建てられた秀吉像と向かい合っています。

ねねは、秀吉に連れられて、しばしば有馬温泉に湯治に訪れ、今は念仏寺のある有馬の高台に別邸も建てています。秀吉の死後も有馬温泉の復興に大いに貢献しました。古来、林渓寺の“はらみの梅”を食べて金泉につかると子宝に恵まれるとされていましたが、ねねは梅干が大嫌いで“はらみの梅”を食べなかったから最後まで子供ができなかったという言い伝えが有馬に残っています。

この「ねね像」は、1997年に有馬ライオンズクラブが寄贈したもので、その直ぐ横に「有馬六景」の説明板があります。

「有馬六景」:有馬温泉では、1753年、1766年と続けて大火に見舞われたため、湯治客も年々減るばかりで街は寂れていきました。そこで、町の旧家の人達が京都の近衛家を訪れ、有馬の湯に来る人を増やし賑やかな街にするため、有馬の優れたところを世に広めてもらうよう、お願いしました。有馬の人達の写生を下に高僧が6枚の絵を描き、近衛氏以下の公家がその絵に和歌や漢詩を添えて、1770年、世に言う「有馬六景」が出来上がりました。このような努力の甲斐があって、有馬の街は再び元の賑やかさを取り戻したと言われています。この「有馬六景」は、有馬の三神社に納められたため、世間に知られるようになりましたが、その一つが今も湯泉神社に伝えられています。





阪急バス案内所を通り過ぎると、左手に商店が立ち並ぶ坂道があります。

この坂は、「湯本坂」と呼ばれ、有馬温泉でも一番古い街並みが残っており、昔の風情をそのままに残す有馬の歴史街道です。

最近、この坂道に沿って、和雑貨屋やオープンカフェ、お食事処などが続々とオープンしており、活気を感じます。昔懐かしい情緒一杯の街並みをいつも大勢の観光客が訪れていますが、色んなお店が軒を並べている街並みをブラブラと散策していますと、店先から有馬名物“松茸昆布”や神戸牛のコロッケの香りが漂い、ついつい足を止めてしまいます。




温泉寺から念仏寺に向かう坂道は、古くから「願い坂」と呼ばれていますが、有馬の昔話によると、次のような言い伝えがあります。
1589年に太閤秀吉が有馬を訪れた時のことです。清涼院から西南の方向にある高台に登り、杖でとんとんと地面をたたいて祈りました。
「もし、この地に温泉が湧き出したら、海の彼方までわしの土地になるだろう。湯よ、湧き出せー!」
すると、足元から少しずつ湯が湧き出し、温泉場になりました。人々は、この温泉を「上之湯」とか「願の湯(ねがいのゆ)」と呼びましたが、秀吉が亡くなると湯も湧き出なくなってしまいました。






温泉寺の直ぐ目の前の道路脇に、7〜8坪の枯山水の庭園「願いの庭」がありますが、ここには、有馬の三大恩人の一人である行基上人の立像と、三羽の水浴びをしているカラスの像が置かれています。さらに、この庭の左手の小道を少し下がると、御所泉源の向かい側に、「天文二十二年(1553年)癸丑五月十五日」と刻まれた、時代を感じさせる地蔵尊と不動明王の磨崖仏があります。この三羽のカラスについては、有馬の昔話によると、次のような言い伝えがあります。

湯泉神社縁起によると、神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神が有馬で温泉を発見したと伝えられています。二神が有馬の地に降臨されたおり、三羽の傷ついたカラスが、水溜まりで水浴していました。数日にて、傷が癒えたのを見て、不思議に思われた二神が、調べられたところ、この水溜まりが、傷を治す効能高い温泉でした。これが万病に効くと言われる有馬温泉が世に知られる始まりで、以後、三羽の烏と二神は、有馬の守護神として崇められています。




有馬温泉の情緒ある古い街並みを見下ろすように、湯泉神社の直ぐ南に隣接する小高い小山が愛宕山(標高462m)で、約2000万年前の火山活動によってできた鐘状火山です。山の北斜面からは金泉、南裾からは銀泉が湧き出ています。

「かんぽの宿」横の道標を見て、愛宕山の山頂に通じる山道へ入ると、約10分で愛宕山公園に着きます。山頂には、京都の愛宕山権現を勧請したと言われる愛宕祠と天狗岩と呼ばれる巨岩があります。

また、太閤秀吉が茶の湯を楽しんだと言われる「遊楽館」の跡があり、秀吉遺愛のものと伝えられる、真ん中が鉢状にくり貫かれている亀の形をした岩があり、『亀の手洗い鉢』と呼ばれています。しかし、秀吉以前に遡る可能性もあり、「亀の御紋」を持つ湯泉神社と関係のあるという説もあります。






「瑞宝寺公園」は、有馬温泉だけでなく兵庫県下でも有数の紅葉の名所です。

太閤秀吉が「いくら見ていても飽きない」と、ほめたという清閑な庭は、眺めていると時の経つのも忘れるという所から、別名「日暮らしの庭」とも呼ばれています。

この公園へは、有馬ループバスの「瑞宝寺公園入口」バス停で下車し、長い坂道を上ります。または、「杖捨橋」バス停からは、橋を渡ってから坂を上ります。坂の上に、紅葉に囲まれた山門が見えてきます。この山門は、明治維新の折(1868年)、京都の伏見桃山城の遺構から移築されたものです。山門をくぐると左手に食事処があり、紅葉シーズンのみ営業しており、例年、おでん、うどん、甘酒などを楽しめます。


秀吉の死後、1604年に大黒屋宗雪が瑞宝庵を創設し、その孫の寂岩道空は黄檗宗に帰依して、瑞宝寺を新しく建立しました。19世紀初めに、25代目の草頂文秀が堂塔伽藍をすべて完備しました。その法弟、慈定真戒が境内を整備し、とりわけ、楓や桜の植樹に注力しました。その後、瑞宝寺は、1873年に廃寺となりましたが、1951年には、神戸市が瑞宝寺跡を公園として整備しました。秀吉が千利休らとしばしば有馬で大茶会を催した故事にならって、毎年11月2、3日の両日には、ここで有馬大茶会の野点が催されます。

シーズンになると、約2000本のモミジやカエデなどの木々の葉が紅く染まり、神戸でも屈指の紅葉スポットを訪れた市民や観光客を魅了します。また、神戸市の「花の名所50選」にも選ばれており、春には美しい桜が見られます。この公園内には休憩所が点在しており、ゆっくりと紅葉やお花見を楽しめます。また、秀吉が愛用したと言われる石の碁盤や大きな石塔、次のような和歌が書かれた歌碑があります。

*ありまやまゐなのささ原風ふけば いてその人をわすれやはする:大弐三位 (百人一首)








瑞宝寺公園とともに、有馬六景の一つに数えられる、有馬でも有数の名勝の地として知られるのが、有馬川上流の滝川をさかのぼった所にある「鼓ヶ滝公園」です。

六甲有馬ロープウェイの有馬温泉駅から直ぐの所にあり、「マス池」に隣接しています。
かつて、鼓ヶ滝は、2段に分かれていて、滝壺に落ちる水の音が周囲の山々に反響して鼓を打つ音に似ていたというので、こう名付けられたと伝えられています。しかしながら、度重なる洪水によって岩が崩れて形が変わってしまったため、残念ながらその音を聞くことはできなくなりましたが、今の滝の音でも十分癒される思いがします。
滝の周囲は、有馬温泉でも、マイナスイオン濃度が最高という測定結果が出ており、この美味しい空気を胸一杯に吸い込むと、心身ともにリラックスできます。春の有明桜や新緑が滝に映える季節から始まり、夏はホタルが飛び交う中で涼やかに鳴くカジカの声が聞かれ、秋は紅葉の中のご散策と、四季を通じてお楽しみいただけます。
*山松のあらしになほも響くかな 鼓か瀧の水のしらへは:内前(有馬六景)




有馬温泉の西側に位置する小高い山が落葉山(標高533m)です。
その北側の麓にある「湯けむり坂」を太閤橋から50mほど登って行くと、左手に亀乃尾不動尊という祠があります。その直ぐ側に5〜6mの苔むした断崖を細い滝が流れ落ちていて、その滝の向こう側に不動明王が祀られています。また、五色の幕に囲まれて、白竜大明神も祀られています。

この滝は、文字通り亀のシッポのように細長いというところから亀乃尾の滝と呼ばれています。

場所は、神戸電鉄「有馬温泉駅」に隣接する「湯けむり広場」の上の方になります。朱色の鳥居を潜って石段を上ると、岩盤上から滴り落ちる幾筋もの流れが何とも言えぬ雰囲気を醸し出しており、交通量の多い道路から少ししか離れていないのに、滝のマイナスイオンの所為か、その周囲は真夏でも少しひんやりとしていて、まるで別世界のように感じます。
滝の左手の苔蒸した岩には、1.2m角の“暁櫻(あかつきざくら)”という大きな二文字が四角張った隷書体で刻んであり、江戸時代初期の京都の代表的な書家である亀田窮楽の“洛西逸翁七十六曳尾窮楽”という落款が添えられています。
これは、秀吉・家康の二人に仕えた藤堂高虎が有馬温泉で入湯した折に刻ませたとされています。当時、滝の傍らにあった桜の木は、残っていませんが、地元の栄町奉賛会が桜の木を植えており、毎年9月28日にお祭りをしています。

また、亀乃尾の滝を落下した水は、直ぐに地中に流れ込み、伏流水となって姿を隠します。

そして、下の方にあるアスファルト道路の下をくぐってから再び滝として流れ出します。さらに、この水は、神戸電鉄の有馬温泉駅下にある暗渠を通って有馬川に合流しています。





有馬ループバスをご利用の皆様には、平素より格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申しあげます。

有馬ループバスは平成13年12月の運行開始以来、約10年間にわたり運行してまいりましたが、このたび平成23年10月31日(月)をもちまして、運行を一旦終了いたしますので謹んでお知らせいたします。

これまでの皆様のご愛顧に心より御礼申しあげます。




「有馬ループバス」は、有馬温泉の街を循環する昔懐かしいボンネットバスです。

運賃は、1回のご利用につき100円(小人50円)です。詳しい路線図や運行表をまとめていますのでご覧下さい。有馬温泉とその周辺へのお気軽なご散策の足としてオススメなのがこのレトロなミニバスです。
  停留所 1便 2便 3便 4便 5便 6便 7便 8便 9便 10便 11便 12便
1 有馬温泉 09:20 09:50 10:20 10:50 11:20 13:05 13:35 14:05 14:50 15:20 15:50 16:20
2 ロープーウェイ有馬駅前 09:26 09:56 10:26 10:56 11:26 13:11 13:41 14:11 14:56 15:26 15:56 16:26
3 虫 地 獄 09:27 09:57 10:27 10:57 11:27 13:12 13:42 14:12 14:57 15:27 15:57 16:27
4 杖 捨 橋 09:29 09:59 10:29 10:59 11:29 13:14 13:44 14:14 14:59 15:29 15:59 16:29
5 瑞宝寺公園入口 09:30 10:00 10:30 11:00 11:30 13:15 13:45 14:15 15:00 15:30 16:00 16:30
6 有馬わんだガーデン 09:32 10:02 10:32 11:02 11:32 13:17 13:47 14:17 15:02 15:32 16:02 16:32
7 太 閤 橋 09:34 10:04 10:34 11:04 11:34 13:19 13:49 14:19 15:04 15:34 16:04 16:34
8 神鉄有馬温泉駅前 09:35 10:05 10:35 11:05 11:35 13:20 13:50 14:20 15:05 15:35 16:05 16:35
9 峠  堂 09:36 10:06 10:36 11:06 11:36 13:21 13:51 14:21 15:06 15:36 16:06 16:36
10 乙 倉 橋 09:37 10:07 10:37 11:07 11:37 13:22 13:52 14:22 15:07 15:37 16:07 16:37
11 神鉄有馬温泉駅前 09:39 10:09 10:39 11:09 11:39 13:24 13:54 14:24 15:09 15:39 16:09 16:39
12 有馬西口 (龍泉閣) 09:41 10:11 10:41 11:11 11:41 13:26 13:56 14:26 15:11 15:41 16:11 16:41
13 神鉄 有馬温泉駅前 09:43 10:13 10:43 11:13 11:43 13:28 13:58 14:28 15:13 15:43 16:13 16:43
14 有馬温泉 09:45 10:15 10:45 11:15 11:45 13:30 14:00 14:30 15:15 15:45 16:15 16:45
【有馬ループバスのご利用について】
・龍泉閣の入り口に「有馬西口」バス停があります。
・運賃:1回のご利用につき、大人100円、小人50円
・路線図をご参照の上、ご利用下さい。
・イベントがあるなど道路が混雑している時には、時刻表より少し遅れることがあります。
・「有馬わんわんランド」は、旧称の“Eわんだガーデン”バス停で下車願います。
「有馬ループバス」炭酸せんべい
有馬名物の炭酸せんべいが「有馬ループバス」の可愛いパッケージに入っています。地元のおせんべい屋さんの2代目グループが町興しのために共同開発しました。ヒモが付いていて首からブラ下げられます。裏面には、昔懐かしいタッチで「有馬温泉大探検双六」が描かれていて、お子様には、大人気です。「龍泉閣売店」でも販売しています。
(24枚入、630円)




「六甲有馬ロープウェイ」は、六甲山と有馬温泉を直接結ぶロープウェイです。

桜の季節から、新緑や紅葉、雪景色の中で、四季折々の空中散歩をお楽しみ下さい。六甲山は、宝塚・西宮・芦屋など阪神間の諸都市と神戸市の北部を東西約30kmにわたって屏風のようにそびえ立つ標高931mの連峰です。明治初年に外国人が別荘を構えた頃から、保養地としての開発が進み、六甲山上一帯は1956年に瀬戸内海国立公園に編入されました。

山頂付近は、神戸市街地と比較して10度近く涼しく、山上には、六甲ガーデンテラス、高山植物園、カンツリーハウス、森林植物園、六甲山牧場、フィールドアスレチック、人工スキー場など、お子様とご一緒にお楽しみいただける施設が数多くあります。
運賃表 大人 小人
六甲山頂駅
〜有馬温泉駅 片道
980円 490円
六甲山頂駅
〜有馬温泉駅 往復
1,770円 890円

■時刻表 六甲山頂駅 ⇔ 有馬温泉駅
<所要時間 約12分>
期間 始発 運転間隔 終発
春 (3/21〜7/19) 9:13 20分 18:13 (17:33)
夏 (7/20〜8/31) 9:13 20分 20:53 (18:33)
秋 (9/1〜12/9) 9:13 20分 18:13 (17:33)
冬 (12/10〜3/20) 9:13 20分 17:13 (16:53)
( )内の時刻は、六甲山頂駅バス接続最の終便
TEL:078-891-0031





有馬温泉では、毎年5月下旬〜6月下旬まで、蛍(ホタル)のシーズンを迎えます。有馬川の川原に飛び交うホタルを眺め、有馬温泉での夜のご散策をお楽しみ下さい。

地元の有馬小学校が「人に優しい有馬温泉・ホタル小学校」を目指して十数年が経ちます。
1991年より、“有馬にホタルを呼び戻そう”と、神戸市環境局、地元自治会、有馬温泉観光協会と連携し、全校生徒が参加して、ホタルの飼育・放流活動を行っています。
年によって数が違いますが、有馬川でホタルが群舞する様子を観賞でき、観光客の皆様にもお楽しみいただいております。
シーズンになると、最新ホタル情報を「龍泉閣日記」・「有馬ナビ」でお知らせしておりますので、ご覧下さい。
神戸電鉄「有馬温泉駅」から太閤橋に向かう間に川沿いの細い道があり、“桜の小径”と呼ばれています。
春になると、この小径から川の両岸に咲き誇る桜の花をご観賞いただけますが、6月に入るとホタルの鑑賞スポットとなります。バイクや自転車も通れない細い道ですが、川沿いの道を下っていきますと、間近にホタルが飛んできたり、フェンスに止まっていたりするので、人気の散策ルートになっています。




旧有馬街道と呼ばれる湯本坂を上っていくと、昔ながらの丸くて赤い郵便ポストがあります。そこから坂道をもう少し上ったところに「灰吹屋西田筆店」があり、ここでは、有馬でしか手に入らない有馬人形筆が作られています。

有馬人形筆は、有馬温泉を訪れる観光客にとても人気があります
その魅力の一つは、篠竹(しのだけ)の筆軸に色とりどりの絹糸が巻かれていて、美しくかがってある点です。また、筆を持って文字を書こうとすると、軸の先端からピョコンと可愛い豆人形が飛び出し、筆を寝かせると軸の中に隠れてしまいます。有馬小学校の生徒さんも人形筆作りの体験学習にやって来て、からくりの秘密を知り、大喜びでした。

このようなカラクリ筆は、全国で唯一つ有馬温泉だけにあるため、地元のお土産屋さんで販売されている以外に、全国各地からの注文もあるそうです。

細筆とセットになったものは習字が好きになる様にという願いが込められており、赤い着物の女人形と緑の着物の男人形がセットになった「夫婦筆」は、子宝が授かる縁起物と言われています。


*人形筆は、昔から、有馬の名産として有名なので、歌にも詠まれています。

  有馬筆ひょいと出たる言のはも 人形よりはめづらしきかな(本居宣長)
  便りおくれと口では云えず、そっともたせる有馬筆(有馬音頭:作詞 西条八十)

有馬筆の由来
奈良時代に、孝徳天皇は、お妃の宝皇女に御子がないのを嘆かれていましたが、お妃が有馬温泉に逗留されたところ間もなくご懐妊し、お生まれになったのが有間皇子であると古事記に記されています。
そんなエピソードからヒントを得て、1559年、神戸の細工物の職人 伊助が人形筆を考案したと伝えられています。
昔は、現在の細筆と同じ体裁の筆軸でしたが、大正末期から何重にも絹糸を巻いた、色鮮やかな形になったそうです。しかし、大正時代まで、4〜5軒あった人形筆作りの店も、今では西田筆店だけになりました。

有馬筆の制作工程
すべて細かい手作業ばかりです。
14〜5色ある日本刺繍用の絹糸の中から必要な色を選び出します。まず、軸になる竹の両側の中心に印をつけ、糸車を回しながら、1.5cmごとに絹糸を巻いていきます。細い絹糸4本を撚って1本の糸にして、その糸の先に糊を付け、濃い色の糸から順に巻いていきます。基本パターンは、市松、青海波、うろこ、矢がすりの4種類ですが、組合せを変えると、多種多様な模様が出来ます。軸の模様を巻いた後、象牙でこすって、巻き跡をならしてから、人形を軸に仕込みます。からくりを下から差し込み、人形が7割くらい飛び出たら止めて、人形の動きを確かめます。人形は石膏と小麦粉を半々に混ぜたもので、竹ヒゴに付けて乾かした後、頭に墨を浸した綿花を付けます。そして、一つ一つ顔を描き、着物を着せて、ニスを塗ります。人形に、形をつけた針金と重りを糸で結びつけると、からくりが出来上がります。最後に、穂先を削り、糊を付けて軸に差し込むと人形筆の出来上がりです。


灰吹屋西田筆店

営業時間 9:00〜18:00
(冬期 〜17:30)
定休日 水曜日
Tel :078-904-0761





神戸電鉄「有馬温泉駅」の改札口を出て、直ぐ左隣りに、各種の和雑貨のお店「きらくや」があります。電車の待ち時間や有馬温泉ご散策の折に是非お立ち寄り下さい。

昭和初期に建てられ旅館として使用されていた建物の1階部分を改修し、オープンしており、レトロ調でどこか懐かしい雰囲気の漂うお店です。

金泉染めの各種お土産品や和風小物、古布などの和雑貨を扱う売店コーナーと喫茶コーナーからなっており、浴衣のレンタルや和服の着付けも気軽にお願いできます。


きらくや

営業時間 9:00〜21:00頃 
定休日 木曜日
Tel :078-904-2818





新春1月2日の入初式(いりぞめしき)や、桜咲く有馬川親水公園のさくら祭り、初夏の「沙羅の花と一絃琴の鑑賞会」、「七夕ひょうたんまつり」、「ありま夏祭り」、「有馬涼風川座敷」、湯泉神社の秋祭り、「有馬大茶会」など、1000年以上の歴史のある有馬温泉では、四季を通じて様々なイベントが開催されます。有馬温泉での四季折々の最新イベント情報は、「龍泉閣日記」・「有馬ナビ」をご覧下さい。







日本最古の湯と言われる有馬温泉には伝説や昔話がたくさん伝わっています。そこで、龍泉閣のスタッフが古い文献を参照したり、町のお年寄りにお聞きしたりして有馬の昔話をまとめてみました。有馬周辺の地名にまつわるお話を中心に、親子でお楽しみいただける昔話を集め、龍泉閣スタッフが描いた挿絵入りでご紹介します。
また、海外からお越しのお客様にも、有馬の歴史に関心をお持ちの方が大勢いらっしゃいますので、西宮市在住の米国人、バート・A・スミスさんのご協力を得て全16話を完全な和英並記版としました。

Considered to be Japan’s oldest hot springs resort, Arima Onsen is the setting of many Japanese legends and folklore handed down for generations. Consulting classical Japanese texts and the elderly citizens of Arima, the Ryuusenkaku staff has compiled this special collection of Arima folktales for your enjoyment.
Centering on the stories originating from area of Arima Onsen, these stories were collected and illustrated by the staff of Ryuusenkaku for the enjoyment of parents and children. Since many people have expressed an interest in the history of Arima, including our overseas guests, we have compiled a bilingual edition in Japanese and English of 16 tales in total with the kind cooperation of Mr. Bart A. Smith, an American translator residing in Nishinomiya City.



むかし、行基上人(ぎょうき・しょうにん:668-749)があちこちと旅をしながら、病に苦しむ人たちを見かけると治していました。摂津の国の有馬に名湯があるとの話を聞いて、やってきた時のことです。険しい山を越えて、ちょうど船坂あたりにさしかかると、上人は一歩も歩くことができなくなってしまいました。山仕事を終えた村人たちが通りかかり、松の木にもたれて、ぐったりとしている上人を見つけ、急いで村へ連れて帰りました。
村人たちは、「何か元気の出る食物を」と考えるのですが、貧しくて其の日暮しがやっとで、そまつな食物しかありませんでした。
「そうだ、鯉を食べると元気が出ると聞いたぞ!」
「よし、わしがひとっ走りして山を越えて、奥の池の鯉を捕まえて来よう!」威勢のいい若者が大きなカゴを抱えて、かけ出していきました。
やがて、帰ってきた若者のカゴには、池の主かと思われるような見事な大鯉が入っていました。さっそく村人たちがその鯉を料理し、食べさせると、上人はみるみる元気になっていきました。

しかし、体はすっかり元気になった上人ですが、なぜか心は晴れません。庭に捨てられた鯉の骨を見て、考えるのでした。

「わたしの命は助かったが、その代わりに命あるものが一つ消えてしまった。」上人は念仏を唱えながら、ていねいに鯉の骨を拾い集めて、塚を造り、鯉の供養をしました。

西宮北有料道路(盤滝トンネル)の北側が船坂(ふなさか)です。今ではゴルフ場になっている辺りに「鯉塚(こいづか)」という地名が残っています。


No. 14 Tale: Funasaka and Saint Gyoki
It happened many years ago, when Saint Gyoki (668-749) was traveling from place to place healing the people suffering from illness that he happened to meet. Hearing that there was a famous bath in a place called Arima in the Settsu country, he decided to go there. After climbing a steep mountain and he began approaching the area of Funasaka, Saint Gyoki’s legs could carry him no further. The village people, having finished their work in the mountain, passed by exhausted Saint Gyoki and seeing him leaning on a pine tree, they hurried to take him back with them.
The village people thought that it would be good for him to eat something to restore his health, but living a poor daily existence there had only simple food. “I’ve got it,” somebody said, “I heard that if you eat carp you will regain your health!” Another person said, “It’s decided. I’ll run past the mountain to the pond in the inner part and catch a carp!” said a good youth in high spirits as he ran off clutching a basket. When the youth returned with the basket, there was a large, splendid carp inside thought to the spirit of the pond. The village people immediately started cooking the fish. They fed Gyoki the fish, and his health returned.
However, even though the body became vigorous, Gyoki’s spirit could not be elevated. He saw the discarded bone of the carp and thought, “Although my life was saved, in exchange this life was extinguished.” Incanting a Buddhist prayer, he properly picked up and collected the bones of the carp, made a mound, and performed a memorial service for the carp.
Funasaka is located north of the Nishinomiya-kita Toll Road (Bantaki Tunnel). Now, there is a golf course in Funasaka where remains a place name called “Koi-zuka (Carp Mound)”.




むかしは、有馬を「湯山(ゆのやま)」と呼び、病気や疲れを治すために、大勢の人がやってきました。京都・大阪から湯山(有馬)へ行くには、生瀬(なまぜ)を通ります。

せっかく近くに来たのだからと、木元地蔵(このもと・じぞう)さんにお詣りする人がたくさんいました。近くの村人たちは、子どもや女の人を守ってくださる、優しいお地蔵さんだと、大切にしていました。

そのあたりに、川辺(かわべ)の音次というお百姓さんが住んでいましたが、若いのに日頃から仏さまを深く信じ、木元地蔵さんによくお詣りしていました。

夫婦にはかわいい赤ん坊が一人ありましたが、ある日、夫婦で裏山へ薪を取りに行く時に、よく眠っていたので、わらカゴに寝かせたまま出かけました。一生懸命に木の枝を集め、縄でくくって、帰り支度を始めました。「やれやれ、今日の山仕事はこれですんだ。さあ帰ろうか。」その時、ふもとの方を見ると、家の辺りに黒い煙が立ちのぼっています。「火事だ!」背負った薪をかなぐり捨てて、二人は一目散に山をかけ下りました。家中火の海になった中でかわいい赤ん坊が眠っている!そう思ったら、気も狂わんばかりで、息せき切って家の中に飛び込みました。

一面の煙と炎の中で、二人が目にしたのは、日ごろお詣りしている木元のお地蔵さんの立ち姿でした。赤ん坊は、お地蔵さんの胸に抱かれ、スヤスヤと寝ているのです。いつもや優しい顔のお地蔵さんが厳しい顔になって煙や火の粉が赤ん坊に降りかかってこないように、衣の袖で懸命に払っていました。

音次は急いで赤ん坊を抱き取り、外へ飛び出しました。妻に赤ん坊を手渡すと、音次は再び家の中に飛び込みましたが、激しく燃えている火の中に、お地蔵さんはどこにも見えません。家が焼け落ちた後、音次は、ハッと気がついて、木元のお堂へかけつけました。
お堂の中には、いつもと変わらぬお地蔵さんが優しい目をしてこちらをご覧になっていましたが、お顔や衣が焼けこげて黒くなっていました。「赤ん坊を火事から助けて下さったのは、お地蔵さんだったんだ!」「ありがとうございます。おかげ様で私どものかわいい子どもが助かりました。このご恩は一生忘れません!」

母親も赤ん坊を抱いてかけつけ、親子三人はお地蔵さんを拝んだまま、長い間その前を離れようとしませんでした。
今でも、お地蔵さんの左の頬と左の衣に傷あとがはっきり残っていて、「火伏せ (ひふせ)地蔵」と言い伝えられています。

No. 15 Tale: Fire Protecting Jizo of Konomoto
From olden times Arima has been called “Yu-no-yama (Bath Mountain)” with many people coming to have their pain and illness cured. To get to the Yu-no-yama or Arima from Osaka or Kyoto, people must pass through Namaze. Thinking it would be a shame not to stop on their way, many visitors to Arima visit the temple where the statue of Konomoto “Jizo (guardian deity of children)” is housed. The nearby villagers place great importance on the kind Jizo since it is this patron saint that protects the children and women of the village.
In the vicinity of the Jizo lived a farmer named Otoji of Kawabe, who from an early age believed deeply in Buddha and often prayed to Konomoto Jizo. Otoji was married and the couple had a lovely baby.
One day when the couple went to gather firewood on the backside of the mountain, they left their baby sleeping the basket since it was fast asleep. They worked hard to gather wood and started preparing to return. “Let’s call it a day. Let’s go home.” At that time, they looked toward the foot of the mountain and saw black smoke billowing from the proximity of their house.
“Fire!” they screamed, casting down the heavy pack that they had been carrying. The couple descended the mountain as fast as their legs could carry them. Deep in their thoughts was the sleeping baby inside the house engulfed in a sea of fire. Overcome with fear for his baby’s safety, Otoji jumped through the flames into the house.
Inside the wall of fire, he saw the standing form of Konomoto Jizo. The baby was cradled in the bosom of Jizo and was sound asleep. The always kind-looking face of Jizo had a stern expression as he fended off the fire with the strenuous rustling of his sleeve to make sure that the smoke and spit of the fire would not come down on the baby. Otoji quickly took hold of the baby and dashed outside. He handed the baby to his wife and tried to rush back into the house, but in the deep flaming fire he could not see Jizo anywhere. After their home fell from the flames, Otoji realized that Konomoto Jizo had returned to the temple. Otoji hurried to the temple to see Jizo. At the temple, Otoji could see, as always, the kind eyes of Jizo, but the face and robe had been blackened.
“It was you, Jizo, who saved our baby from the fire, wasn’t it! Thank you. It is because of you that our lovely baby is alive. I’ll never forget this blessing for as long as I live!” With the mother holding their baby, the three of them prayed before Jizo for a long time and could not bring themselves to leave.
Even now, the damage to Jizo’s cheek and robe at left side is clearly visible, and the reason for the damage has been handed down expressing the “Fire Protecting Jizo”.




今から五十年ほど前の寒い冬のある日、「龍泉閣」の先々代(今のスタッフの祖父)が有馬の山の中を歩いている時に、たくさんの蛇がとぐろを巻いているのを見かけました。
「真冬なのに冬眠しているはずの蛇がいるというのは、この下に温泉があるからにちがいない!」と思った祖父がその場所を掘ったところ、豊富なお湯が泉のように湧き出ましたので、そこに旅館を建てました。そして、蛇にちなんで「蛇泉閣」と名付けようとしましたが、「それじゃ怖いよ、気味が悪いよ!」と家族全員が大反対しました。
結局、蛇に似ていて縁起が良く、天に昇るという龍にちなんで「龍泉閣」と名付けることになりました。

その後、いつの間にか旅館のロゴマークが龍から可愛らしい「タツノオトシゴ」に変わっていきました。龍泉閣が建っている見晴らしの良い高台の山裾を流れる川は、今も「蛇谷川」と呼ばれています。

今後とも、祖父の思いを引き継いで「元湯 龍泉閣」を守り育てていきたいです。また、三羽烏や有馬の三恩人のことも忘れずに、有馬温泉が栄えていくよう努力したいと思います。

― めでたし、めでたし ―

No. 16 Tale: Origin of Motoyu “Ryuusenkaku”
About fifty years ago on a cold winter day, the grandfather of the current proprietor of “Ryuusenkaku” was walking in the mountains of Arima when he suddenly spotted a den of snakes rolled up in coils. The grandfather thought, “Snakes are supposed to be hibernating in the middle of winter. This must mean that there is a hot spring here!”
He dug a hole at that place where he had seen the snakes and a bountiful quantity of hot water gushed from the ground like a spring. He decided to build a Japanese inn on that spot, and had wanted to name the inn “Snake Spring Inn” in honor of the snakes, but all of his family members were adamantly against it saying, “That’s a frightening name; it has a bad meaning.”
Finally, having been discouraged from his first choice, the grandfather began thinking of something similar to a snake that brings good luck and dwells in the heavens. He decided on a dragon and named the inn “Ryuusenkaku,” or Dragon Spring Inn. No one knows quite when it happened, but sometime after that, the logo mark of the inn changed from a dragon to an adorable seahorse. Incidentally, at the foot of the mountain on which Ryuusenkaku was built with its excellent view, there is a river called “Snake Valley River” flowing through the gorge.
From now and forever, we would like to continue with the grandfather’s thoughts by preserving and nurturing Motoyu Ryuusenkaku and not forget the “Two Gods and Three Crows” or the “Three Patrons of Arima” as we strive for the continued prosperity of Arima Onsen.





有馬温泉の旅館 龍泉閣スタッフ
有馬ナビ神無月号では、「有馬の観光案内・集大成版(後篇)」として、有馬の泉源・名所・その他の有馬情報をご紹介致しました。これから、秋本番のシーズンです。次号では、「有馬温泉と神戸の紅葉スポット」を特集します。この秋の家族旅行には、有馬温泉の「元湯 龍泉閣」に是非ご宿泊下さい。(2006/9/30)



※このページは2006年10月に発行されたものです。
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