むかしは、有馬を「湯の山」と呼び、病気や疲れを治すために、大勢の人がやってきました。京都・大阪から湯の山へ行くには、生瀬を通ります。せっかく近くに来たのだからと、木元地蔵(このもと・じぞう)さんにお詣りする人がたくさんいました。近くの村人たちは、子どもや女の人を守ってくださる、優しいお地蔵さんだと、大切にしていました。
そのあたりに、川辺(かわべ)の音次というお百姓さんが住んでいましたが、若いのに日ごろから仏さまを深く信じ、木元地蔵さんによくお詣りしていました。
夫婦にはかわいい赤ん坊が一人ありましたが、ある日、夫婦で裏山へ薪を取りに行く時に、よく眠っていたので、わらカゴに寝かせたまま出かけました。
一生懸命に木の枝を集め、縄でくくって、帰り支度を始めました。「やれやれ、今日の山仕事はこれですんだ。さあ帰ろうか。」その時、ふもとの方を見ると、家の辺りに黒い煙が立ちのぼっています。「火事だ!」背負った薪をかなぐり捨てて、二人は一目散に山をかけ下りました。家中火の海になった中でかわいい赤ん坊が眠っている!そう思ったら、気も狂わんばかりで、息せき切って家の中に飛び込みました。
一面の煙と炎の中で、二人が目にしたのは、日ごろお詣りしている木元のお地蔵さんの立ち姿でした。赤ん坊は、お地蔵さんの胸に抱かれ、スヤスヤと寝ているのです。いつも優しい顔のお地蔵さんが厳しい顔になって煙や火の粉が赤ん坊に降りかかってこないように、衣の袖で懸命に払っていました。音次は急いで赤ん坊を抱き取り、外へ飛び出しました。妻に赤ん坊を手渡すと、音次は再び家の中に飛び込みましたが、激しく燃えている火の中に、お地蔵さんはどこにも見えません。
家が焼け落ちた後、音次は、ハッと気がついて、木元のお堂へかけつけました。お堂の中には、いつもと変わらぬお地蔵さんが優しい目をしてこちらをご覧になっていましたが、お顔や衣が焼けこげて黒くなっていました。
「赤ん坊を火事から助けて下さったのは、お地蔵さんだったんだ!」「ありがとうございます。おかげ様で私どものかわいい子どもが助かりました。このご恩は一生忘れません!」
母親も赤ん坊を抱いてかけつけ、親子三人はお地蔵さんを拝んだまま、長い間その前を離れようとしませんでした。
今でも、お地蔵さんの左の頬と左の衣に傷あとがはっきり残っていて、「火伏せ(ひふせ)地蔵」と言い伝えられています。
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