秀吉も愛した有馬温泉

神戸有馬温泉 元湯龍泉閣

明智光秀、柴田勝家、織田信孝とライバルを次々と打ち破って天下統一の目途がついた1583年に、秀吉は有馬温泉を訪れ、長らく続いた戦で疲れた心身を有馬の名湯で癒しました。これが記録に残る最初の秀吉の有馬入湯で、その後も再三有馬を訪れて、有馬温泉の復興に対してさまざまな援助を行いました。
秀吉の事蹟で特筆すべきことは、1597年に始まった大規模な泉源の改修工事です。前年に近畿一円を襲った慶長伏見大地震によって有馬の建物も甚大な被害を蒙りましたが、それ以上の問題は、この地震の直後から温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまったことでした。有馬温泉の湯治効果を熟知していた秀吉は、根本的な改修工事に着手しました。
改修工事が完成した1598年5月に入湯の予定でしたが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の8月18日に没したため、秀吉はついにその成果を見ることができませんでした。しかし、秀吉の大改修がその後の有馬の繁栄に大いに寄与したと言え、秀吉は有馬温泉の大恩人として今でも慕われています。