ある時、松永城主が葦毛の馬に乗り、重藤の弓と白羽の弓と白羽の矢を持って、鷹狩をしていると、湯泉神社の祭神である熊野久須美命(くまのくすみのみこと)が狩場を通られました。松永城主は怪しく思って祭神様を射ようとしました。
すると、祭神様は袂(たもと)から小石を取り出して、松永城主に向かって投げつけました。この小石が年月を経て大きくなり、袂から投げられたので、「袂石(たもといし)」とか、「礫石(つぶていし)」と言われるようになりました。
その後、有馬では葦毛の馬や重藤の弓、白羽の矢を持って入ることが禁じられました。もし、この決まりを破って有馬に入れば、晴天が急に曇って、風雨が激しくなると伝えられています。
太閤橋のかたわらにある袂石の大きさは、高さ5m、周囲19m、重さ130トンもあります。また、湯泉神社のある愛宕山公園の山上には天狗岩があります。いずれも古代の巨岩信仰の遺跡ではないかと言われています。 |
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